ろうの登山記録

山を愛する狂人が山を語ってるだけ

さくらいさんの考え方が良い意味でおおのさんに侵食されていってる

※最近のさくらいさんを見てすんごい山だなと思うことをつらつら書きました。

 

さくらいさんの考え方が良い意味でおおのさんに侵食されていってる。

 

こないだのさくらいさんと潤くんが2人で受けた英字インタビュー、さくらいさんの回答がめちゃくちゃ山だなと感じた。

 

さくらいさんが、おおのさんの休止についての言葉・意向(2019年1月時点)をほぼそのまま述べてくださっていた。
さらにその主語をおおのさんに断定せず、おおのさんが「休みたい」って言ったことを強調せずに「メンバーそれぞれ」と言い主語を和らげることで、おおのさんに責任の重圧をこれ以上負わせないようにしてくださってるコメントだと自分は感じました。

また


・おおのさんが自分のためだけではなくメンバーの未来のことも考えて、嵐にとって必要な決断であることを理解して言葉にしているところ
・潤くんではなく、自分が言うとさくらいさんが背負うところ(次男ポジ泣ける無理)
・おおのさんが当初言った「メンバーそれぞれの道を…」の発言をリスペクトして、おおのさんを背負ってるように発言に乗せてるところ

マジで最高だった泣いた。


これ口頭で聞かれてその場で答えた言葉だから、きっとさくらいさんは何回も何回もおおのさんが言った休止についての言葉を、聞いたその日から自分の頭で反芻して考えたんじゃないかと思った。
それが「おおのさんの考えなのか、さくらいさんの考えなのか、わからなくなるまで」繰り返し考え続けたんじゃないかな、と…じゃなきゃこんなにスラッとおおのさんが1年前に言った言葉は出てこないと思う。

さくらいさんのおおのさんへの愛が山が至高すぎて泣ける。

 

休止会見前のさくらいさんはワーカーホリックどころかワーカーゾンビレベルに仕事を詰め込んでこなされていて、自分は心底お身体が心配だった。
だから休止会見後の夜会で、さくらいさんが
「月のうち2週間働いて2週間ハワイで休む、みたいな生活(夜会に出演してる某芸能人の生活)を聞いてそういうのもいいなと思った」って言ったのがめちゃめちゃ驚いたし、とても印象に残った。

それは「おおのさんが求めるような自由な人生」に近いのでは?と。
「おおのさんが求めるような自由な人生」をさくらいさんもいい人生と感じたんだ!!!!!と嬉しくて泣いた記憶。

休止会見前の自分は、さくらいさんは仕事をし過ぎていて、人生や心を考える時間もないんじゃないかと思っていた。
かといってこの人を休ませるのは無理だろうなと思っていた。
さくらいさんは「自分の人生すべてをあらしに捧げるつもりでいて、それが"幸せかどうかは考えることではなく"、それが自分の役割であり人生なんだ」と決めているように見えていた。

というかその決断がいいのか悪いのかを精査する時間と余裕がそもそもないように見えた。
だから身体が壊れてもこの人は止まらないだろうなと思っていた。

ので、その発言が心底驚いたし、さくらいさんの考えを根底から変える杭のようなものをぶっ刺したおおのさんマジですごいマジですごいとその日1日ずっと感動していた。
とにかくおおのさんの求める「自由な人生」をさくらいさんもいいと感じたことがめちゃくちゃ嬉しかった。

 

こないだの夜会(2020.10.01放送)のさくらいさんの発言、「再開のカギを握るのはもしかしたら俺かもしれないし、5人それぞれ」からもそれはかなり強く感じた。
おおのさんの言葉をきっかけに、さくらいさんが自分の人生を見つめ直すきっかけになったというか、ほぼほぼもう、おおのさんの思考に染まり尽くしてる。

けど、おおのさんの思考は「さくらいさんの未来をさくらいさん以上に見据えてる愛そのもの」だから、それでいいのだ。ゆだねて侵食された方がいいのだ。

さくらいさんよりおおのさんの方がいつだってさくらいさんに優しい思考をしている。

 

また、おおのさんを絶対的に信頼してるさくらいさんなので「おおのさんの言っていることはその時点の自分ではわからなくても一旦正しいこととして飲み込む」習性がある気がする。
だからさくらいさんは「ここであらしが休止する意味がある」「その意味は何か?」という思考進行に行けたんじゃないかと思う。

 

さくらいさんの考え方が良い意味でおおのさんに侵食されていってる。 
あらしのために5人が"自分の人生における幸せを考えないようにする未来"は、たぶんおおのさんのおかげで無くなった。
本当に良かった。そしてやっぱりおおのさんは本当にすごい。本当に救世主だと思う。